温泉力 松田忠徳 著

温泉本

”温泉教授”が主張する、ホンモノの温泉とは?を説く本

本書は”温泉教授”こと松田忠徳氏が2002年に書いた本を、2010年に文庫版として加筆・修正し
発行した本です。

そのため、温泉教授がオススメする巻末の温泉リストも50軒から120軒へと増加し、かつ記載
されている情報も2010年現在のものに修正されています(と、いっても本記事が2020年3月
に書かれているので、すでに情報としては確認が必要な部分が多くなります)。

本書は温泉教授の語る「温泉力」に関する理論書のようなものですから、情報の古さよりも、
その内容、考え方が重要で、温泉の捉え方を学ぶ本という位置付けになります。

今でこそ温泉に関する本は、特徴的な温泉を紹介するガイド本や、温泉科学を説明するような
教科書的な本、その両方を兼ね備える本というように、様々なものが発行されています。

しかしまだまだ温泉に関する本といえば、オススメ温泉を列挙するガイド本的なものが主流と
なっています。

そんな中で温泉教授は、少しでもホンモノの温泉に関する認識を広めようとしています。

その一助として、オススメ温泉リストを掲載して手に取ってもらいやすくしているのかな、
なんて想像もできます。

温泉にこだわる人が勧める温泉は大抵重複したりしますが、多くの専門家が勧めるという事は
それだけ素晴らしいってことになるんでしょうね。

著者紹介

松田忠徳(まつだ・ただのり)

1949年北海道洞爺湖温泉生まれ。東京外国語大学大学院修了。文学博士。現在、札幌国際大学教授(温泉学)、旅行作家。1998年1月から翌年9月かけて、改造した小型キャンピングカーに寝泊まりしながら日本列島を縦断し、全国2500湯を制覇。その後の踏査を含めて現在までに4600湯以上を巡っている。著書に『江戸の温泉学』(新潮社)、『知るほどハマル!温泉の科学』(技術評論社)、『温泉に入ると病気にならない』(PHP新書)ほか多数。

-本書カバーより引用-

温泉について少しでも知識がある人は、きっと知っているであろう”温泉教授”です。

源泉かけ流し原理主義の大親分のような人物…と思われている部分もありますが、循環ろ過と
塩素消毒を否定しているわけではない(と、ご本人は主張しています)。

しかしこの方のご著書を読むと、「ホンモノの温泉」であるためには源泉かけ流しである事は
必要条件なのでは…などと思ってしまうほどの迫力があります。

ともあれ、温泉に関する専門家には間違い無いので、本書の主張も「ホンモノの温泉」を追求
する温泉ファンにとっては有意義な内容になるでしょう。

伝統的な温泉利用法から説く「ホンモノの温泉」考

本書は全5章で構成され、各章が「一の湯」「二の湯」という章立てになっています。
温泉本だから、という主張でしょうか。

前半の1・2章は、伝統的な温泉利用法(湯治としての温泉逗留、混浴としての温泉利用)の
説明と、それがいかに伝統的に日本人のDNAに刻まれているかを述べています。

本書は温泉教授の主張する「ホンモノの温泉」像を明確に示すために、こういった伝統的な
温泉の利用形態から論述展開していきます。

「湯治」 −究極の湯浴み形態−

本書第1章(一の湯)では、徳川家康が超多忙な執務の合間に一週間も時間を割いて、
わざわざ湯治に来たという熱海温泉のエピソードから導入されていきます。

元々、湯治には一回り7日という認識があったようで(地域によっては10日なども)、
それに習った形で家康も熱海にて湯治を行ったとのこと。

かつては病気を治す手段としては湯治などの民間療法がメインでしたが、庶民の間では、
農繁期に代表される厳しい肉体労働の前後に、英気を養う湯治と心身を回復させる湯治が
季節ごとに行われていたといいます。

病気を治す、という対症療法的発想ではなく、未病の状態で予防するという考え方に
近いようです。

こうした背景があり、湯治宿では一見さん(一泊のみの客など)を断り、長逗留する湯治客を
専門的に受け入れるという土壌が出来上がっていったそうです。

その後、箱根湯本の湯治宿で「一夜湯治事件」という一泊のみの宿泊客を受け入れた事件(?)
が起こり、現在の温泉街(歓楽街的な要素を含む)へと変質して行く歴史が記述されます。

このような事実を踏まえて、現在の温泉地でもホンモノの温泉(伝統的に湯治場とされた)が
ある湯治宿でこそ温泉の力を感じることができるのだ、と主張されます。

事実、現在でもかつての湯治場であった温泉では、湯治客向け(長逗留で自炊する)の別棟が
残っていたりします。

そういった場所で、かつての湯治客にならってホンモノの温泉をじっくり味わうことが、
ホンモノの温泉を後世へと残していく大切な過程とも言えそうです。

「混浴」 −湯浴みに男女別の発想はなかった−

上記の湯治スタイルにも関連することですが、湯治場では現在のような「体を洗う」という場
ではなく、心身を癒す場であるという認識がされていました。

そのため湯治場ではある一定のマナーが暗黙のうちに守られており、それが湯治場=混浴が
当然という認識を支えていた事実もあります。

湯治で心身を回復させるという共通の目的を持った人々が、ゆったりとお湯に浸かって語らい
ながら、お湯の力を全身で受け止める。これが湯治の姿であったとの事。

この影響かどうかはわかりませんが、都市部の銭湯でも男女別にはせず、基本的に混浴での
入浴が行われていました。

しかし全員がマナーを守るわけではないのは、今も昔も一緒です。

特に銭湯では不埒な輩も存在しており、こうした問題が風紀取締りの対象となっていきます。
明治時代になると改めて混浴禁止令が発令され、男女別の風呂場が明確に規定されました。

しかし湯治場ではその後も伝統的な湯治場の姿が残り続け、混浴が存続しました。

 

戦後、温泉地の大衆化によって大規模ホテルや大規模浴場の建設などレジャー化していく
湯治場が増えていく中で、伝統的な湯治場の姿を残していたところでも、団体客を受け入れる
方向へと舵を切る温泉地が続出しました。熱海などに代表される有名温泉地です。

しかしそれも時代の移り変わりとともに人々から受け入れられなくなり、現在では本物志向と
言えるような、かつての湯治場のような温泉が再び注目されています。

いわゆる「トレンドセッター」である若い女性が混浴を好んで来訪していることが、
再び湯治場が脚光を浴びるきっかけでとなっている面もあります。

これは混浴そのものを望むのではなく、混浴である温泉がホンモノの温泉である目印になって
いるという認識のもとに人気を集めているといいます。

ホンモノ志向の若い女性が混浴が残る湯治場を選んで旅行に来るということは、もちろん良い
面が大きいのですが、一方で都会的な視点や要望によって、今まで残っていた伝統的な湯治場
が変化していく部分も見られています。

時代に合わせ湯治場も変化する部分があるもの、それが文化であるという風にも思いますが、
著者の考えでは伝統的な湯治場の形こそが大切である、というもののようです。

「温泉力」を持つホンモノの温泉を後世に残すために

「温泉力」とは何か

本書で主張されているホンモノの温泉とは、「自然治癒力を高めるもの」と言えます。

これは「温泉力」を持っているとも言い換えることができますが、ではその温泉力とは何か、
というと「お湯そのものが持つ力」と「お湯以外の諸要素が持つ力」の2つに大別できます。

本書の記述ではやや大雑把というか、記述の形が統一されていなかったり重複要素があったり
しますが、温泉力を表す要素を表す小見出しを以下に列挙しつつ要約します。

温泉力のうち、「お湯そのものの力」

お湯そのものが持つ温泉力としては、次の6つが挙げられています。
「地球のものすごい力」
「『自然湧出』という根本的な力」
「外湯のあなどれない力」
「『湯量』という偉大な力」
「『泉質』もまた地球の力である」
「『飲泉』という内なる力」

これらの記述をまとめると、
火山に代表されるような地球のエネルギーを取り込んだ水としての温泉が、
自然の形で地上に湧出する(自噴していること)がまず大切であり、
その豊富な湯量も重要な要素となる。

さらには源泉ごとに全て異なる泉質や、それを直接体内に取り込む行為である飲泉が可能で
ある温泉ことが、「湯そのものが持つ温泉力」を持つ温泉である、
ということでした。

温泉力のうち、「お湯以外の諸要素が持つ力」

一方で、「お湯以外の要素が持つ力」としては次の5つで、
「『風景の力』という大きな付加価値」
「霊験という測り知れないパワー」
「『混浴』という癒しの力」
「『温泉街』という風景の力」
「『接客業』の原点がもたらす意外な力」

これらの要点は、つまり伝統的に湯治場とされていたような、鄙びた渋い温泉地の立地や、
その温泉を運営している人々の振る舞いが、ホンモノの温泉を本来の姿で維持していくには
とても重要である、ということになります。

ホンモノの温泉救援と温泉力チェックリスト10項目

これまでに記述されてきたホンモノの温泉を守り、後世にも同じような姿で残していくため、
温泉力を高めていく必要があると著者は主張します。

そして各々の温泉地の温泉力は、私たち(温泉利用客)が高めることも可能である、といい、
「温泉力」を判断するチェックリスト10項目が掲げられています。

①「源泉の宿」かどうか
②自然湧出のお湯かどうか
③飲泉ができるかどうか
④「外湯」があるかどうか
⑤露天風呂はあるかどうか
⑥シャワーはあるかどうか
⑦湯治の施設があるかどうか
⑧混浴ができるかどうか
⑨接客態度がいいかどうか
⑩料金設定はどういう風になっているか

-本書「四の湯」小見出しより抜粋-

このチェックリストだけを見ると、露天風呂やシャワーがあったほうがいいような印象を
受けますが、露天風呂とシャワーに関しては本来の温泉力を削ぐ方向へと圧力が働くため、
この二つが設置されている温泉は、温泉力がややマイナスとなります。

著者の主張では「温泉=湯治場」であり、体を洗うところではないというものですから、
当然シャワーは不要で、「石鹸で体を洗う頓珍漢」とまで言っています。

色々な価値観があるのは仕方ありませんが、温泉そのもの以前にお湯を綺麗に保つマナー
として、入浴前には体を洗ってほしいなあ、とは思いました。

 

【松田流「温泉力のある温泉」ベストセレクション120】

最後の第5章にあたる「五の湯」では、著者こだわりのオススメ温泉が列挙されています。

よくある温泉本には必ずというか、メインコンテンツとしての意味合いもありますが、本書は
温泉力を説明する理論書という体裁のため、巻末に簡潔なリストとして記載されています。

湯治場こそがホンモノの温泉、という主張を持つ著者が勧める温泉ですから、きっと温泉力が
半端ない温泉が揃っているのだと思います。

本書のデータは2010年時点のものなので、実際に訪れる際には営業しているかどうかを、
ご自身で確認されることをオススメします。

読後感・感想など

本書著者”温泉教授”の「ホンモノの温泉」のこだわりがやや強いのかな、と思うところもやや
あったりもしますが、本来の温泉のあり方というのも「温泉文化の継承」という視点からなら
止むを得ないのかという印象です。

この著者の本は、温泉に興味を持っている人なら何冊かは読んでいるかもしれません。
それくらいに温泉界隈では有名というか、第一人者として認識されているようです。

本書の主張する「ホンモノの温泉」ですが、確かに入れば力が漲るというか、体にパワーが
宿ったかのような感覚になることは確かです。

自然湧出、源泉かけ流し、源泉近くの浴槽という、本当に贅沢な、だけど本来の温泉の姿を
色濃く残している温泉がこの本には詰まっています。

本書を読み進める中で感じたことは、事実を記述する本であるという認識で読んでいると、
著者の主観がかなり強いために、かなり偏った極端な意見であるという印象を持ちました。

色々な温泉観があり、それぞれが独自のこだわりを主張するからこそ温泉文化が磨かれていく
のだろうとは思います。

しっかり取材してできるだけ平等に記述しようと努める本がある一方で、このような極端な
主張の本があるということで、様々な温泉観を知り、自分好みというか、しっくりくる温泉観
を身につけられ場いいなという風に思います。

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