「草津温泉」そのものの研究書
本書は2008年に出版された、草津温泉にまつわる包括的な研究書です。
観光地やレジャーとしての草津温泉を楽しみたい、情報収拾がしたいという人には、
全くもって無用の長物。読むだけ時間の無駄と言えるかもしれません。
それだけ専門的で、深く、読者を選ぶ本です。
なお、本書は上毛新聞社という群馬県民のほとんどか購読したことがある新聞社から
発行されており、群馬県民にとっては絶対的な信頼性を感じさせます。
内容は超真面目な草津温泉にまつわる研究。記載方法からして左右2列に分かれた
研究発表のレジュメのよう。こういうところがとてもマニア心をくすぐります。
本書の内容とする範囲は、まず草津温泉が形成された経緯の説明から入り、
草津温泉を生み出す草津白根山という火山の生成から特色を詳述します。
そして草津温泉の気象条件と温泉水の湧出量との関係など続き、温泉に特徴的に生息する
微生物の話と進んでいきます。序盤は草津温泉の自然条件の研究が中心です。
後半は草津温泉史、草津温泉と健康、草津温泉の医学と続きます。こちらは草津温泉が身体に
及ぼす影響を、医学的研究により明らかにした結果を整理しています。
伝統的に超高温浴が行われている草津温泉ですが、それが万人に対して良い効果があるのか、
禁忌とする人がいるのかなども、その根拠を示しつつ言及しています。
そう言った意味では、真の意味で草津温泉を「生かす」ための研究となります。
本書を通じて温泉利用者にとって関係が深いと言えるのは後半部分と言えるでしょう。
著者について
本書は各分野の専門家の先生たちが担当ごとに執筆されている形式となりますが、本書を編集された白倉卓夫氏が編著者として記載されています。白倉氏はすでに引退されているせいか、詳しい情報が残っていません(本書にも群馬大学名誉教授とのみ記載)が、別の著書(医者がすすめる驚異の温泉)著者略歴によると以下の通りとなります。
群馬大学医学部卒業後、同大大学院修了。群馬大学教授、群馬大学附属病院草津分院長を経て、現在、東京都多摩老人医療センター顧問、日本温泉気候物理医学会理事、群馬大学名誉教授。
-amazonより引用-
現在は閉鎖されてしまったそうですが、草津温泉にて温泉医学の研究も行なっていたとされる
「群馬大学付属病院草津分院」の院長だった方です。
そのため、草津の湯治に関しては専門的なお医者さんとも言えますね。
ちなみに群馬大学付属病院草津分院での研究成果は、こちらのページに記録を残して
下さっています(元 群馬大学医学部附属病院草津分院 講師 倉林 均 氏の作成による)。
本書の内容について
ここでは本書の内容について概観します。記述の際に分野ごとの著者についても併記して
いますが、肩書きなどは本書出版(2008年)当時のものを記載しています。
【前半】草津温泉の形成と自然環境
本書の前半の3章にあたる「草津白根火山と草津温泉」「草津温泉の気象」「草津温泉の微生
物」は、草津温泉を自然環境の面から記述した内容です。
第1章は東京大学名誉教授の綿拔邦彦氏による「草津白根山と草津温泉」です。
草津温泉は、温泉の形成過程としてはポピュラーな火山性の温泉です。近傍には草津白根山と
いう活火山が存在し、現在も活動が続いています(2019年にも小規模な噴火があり立入規制
がなされていました)。そんな火山の特性や火口湖(湯釜を始めとする酸性の湖)の説明、
そして草津温泉そのものの化学的特性や湧出のメカニズム、環境問題、草津温泉の保全へと
言及されています。
草津温泉を語る上で、その形成過程や化学的特性を把握しておくことは、様々な医学的な活用
に対しても説明の根拠となりうる要素です。また、火山性の温泉であることから、常にその
危険性も考慮しつつ温泉療養を行うことにも留意することが大切と言えます。
第2章は群馬県草津町の布施医院院長の布施正美氏。湯治についても詳しい地元のお医者さん
ですね。この方が長年蓄積した気象データをまとめてくれています。そのため、草津温泉に
ついての気象に関する記述では、主にデータブックとしての性質が強い印象です。
草津温泉を中心とした地域の気温や湿度、降水量・降雪量、日照時間などのデータと、それら
の相関関係を考察した対照表が揃っています。草津温泉の温泉水が天水由来であることも、
降水量の増えた数ヶ月後に温泉湧出量が増大することから、その関連性が証明されています。
前半部最後の章、東京理科大学教授の長島秀行氏による「草津温泉の微生物」では、
温泉にのみ生息する微生物についての記述となります。
草津温泉は塩素剤による浴槽の消毒が必須とされていないので、細菌などの生物が存在でき
ないのでは、というイメージがあります。湯の効能も強い殺菌力というイメージです。
しかし実際に草津温泉を訪れてみると、例えば湯畑の木桶や源泉周辺には、緑色の藻らしき
ものがびっしりと覆っています。湯畑の他、西の河原公園などでも、緑色の藻がたくさん
あることに、驚かれる方も多くいらっしゃいます。
微生物は原始的な生物の形質を色濃く残している種も多いことから、生命の起源に関する
研究にとても貢献しうる対象です。特に酸素を嫌う生物や、海底の熱水噴出口付近でしか
生息できない微生物などは、古細菌の呼ばれる種類だったりします。我々人間などの動物に
とっては過酷な環境と思われがちな場所、すなわち草津温泉のような場所でも、そういう環境
こそが適した生物が存在します。
そうした生命が温泉地に存在し、「草津温泉」という1つの系の中で共生している事実を
認識するにつけ、生命の神秘やその強靭な生命力に感動すら覚えます。
草津温泉の研究所からやや発展しすぎなきらいがありますが、まさに奇跡が重なって存在する
草津温泉のことを知れば知るほど、さらに愛着が増していきます。
【後半】草津温泉史と健康・医学
本書後半は、人間の側から見た草津温泉の利用に関する視点です。
草津温泉の歴史と、その利用によって健康が増進される仕組み、そして医学の分野からの
研究内容の紹介です。
後半最初の章、群馬県草津町・元中沢温泉研究所所長の中沢晁三氏による「近世草津温泉史」
では、近世における草津温泉周辺の支配者や管理やその活用についての紹介です。
特に現在のように庶民にも広く湯治が行われるようになったのには、江戸時代には幕府が
湯治人を保護する方針となったり、治安の安定化による旅行の普及、それに伴う温泉番付の
登場などが、草津を天下の名湯たらしめる理由になったのだと思い至ります。
その他、当該部分では、草津温泉街の都市構造や各源泉ごとの効能についても解説がなされ
神社仏閣、湯宿についても知ることができます。本章を読み込んだ後に草津温泉散策を
すると、さらにディープな草津の街を堪能できますね。歴史を知る醍醐味と言えます。
第5章では、元群馬県医師会沢渡温泉病院院長の菅井芳郎氏による、草津温泉と健康について
の記述となります。
この章も草津町の健康に関する統計情報が主となりますが、草津町の特徴を浮き上がらせる
ために、近隣町村、群馬県全域、日本全国との比較が適宜行われています。
恋の病以外はみんな癒してしまうと言われるほど、その効能は素晴らしいと言われている
草津温泉ですが、その草津温泉を擁する草津町の統計を見ても特に長寿であるとかの特徴は
ないようです。
本章のまとめとしても、草津温泉がある街に住んでいるからと言って、特に著しい健康の維持・
増進効果が見られることはなく、むしろ社会的要因が強いと結論づけられています。
世に言う「湯治」が、3週間程度を限度に切り上げられるようになっていることも関連づけられます
が、その環境に適応してしまうと温泉の効果も薄れてしまうことの証明とも言える結果となりました。
温泉地に住む人にとっては、それが当たり前のものとなり、外から来る湯治客のような著しい
効果が得られないんですね。
いくら草津温泉が好きでも、湯治効果を得ようとするなら移住することは考え直した方が賢明と
言えそうです。
最後の章は「草津温泉の医学」と言うことで、本書の編著者でもある白倉卓夫氏と、先ほどの
草津温泉と健康を担当された菅井氏の共著となっています。
草津温泉は伝統的に超高温浴(現在は47℃が上限)が行われていました。
とても苦痛を伴う療法となりますから、それなりの効果を期待してしまうもの。
現代の医療においても、アトピー性皮膚炎に感染症が合併した症例が軽快することが確認
されているものの、その他の効果については未だ根拠が得られているとは言い切れません。
本章では読者への理解を助けるために、草津温泉を
①温熱作用(他の温泉でも見られる効果。ただし草津温泉の超高温による影響も記述)、
②化学的作用(草津温泉の泉質による独特の効能について)、
③草津温泉を取り巻く環境の影響、
の3点に分けて説明がなされています。
各視点からも、温泉療法利用者の状態によっては草津温泉の条件が合わなかったりするため、
一概にあらゆる病に有効かと言うと、そこまでは言い切れません。
ただし、草津温泉の存在意義は、医療の補完や代替医療を通じ、統合医療の発展に寄与し
得ると言う点が大きいと言えます。
まだまだ未解明の身体への影響や回復のメカニズム解明が待たれます。
ところで温泉の目的は、大きく「休養」「保養」「療養」の3つに分けてその利用法が考えら
れてきました。現在では、日常生活で蓄積するストレスや疲労を洗い流す目的で、1~3日滞在
する、半ばレジャー目的の休養が主な温泉利用の目的となっています。
一方、保養は日常生活から離れて温泉地に比較的長期間滞在して、休養、栄養、運動を通して
日内リズムの修復と心身機能の回復を図るものです。かつての湯治に当たるものです。
その保養効果を十分に得るためには、過去の研究からも3〜4週間程度の滞在が効果的と言われ
ています。
しかし現在ではなかなか滞在期間を確保することが困難です。
保養の効果が現れ始める5〜6日の滞在から始めてみるのもいいと言えます。
このような温泉利用が広まり、多くの人に活用されることで医療費の低減が実現したり、
健康寿命が伸びて人生を通じたQOLの向上も期待できます。
かつての医療が未熟だった頃の民間療法から、これからの時代にあった在り方に
少しずつ進化していってほしいですね。
本書をオススメする人
草津温泉の熱狂的ファン。
または草津温泉を例として、温泉が身体に及ぼす効果を研究する人。
ただし本書は2008年時点での研究成果となりますので、その後の草津町の再開発や温泉利用、
源泉の種類などは変わっている可能性があります。あくまで2008年までの草津温泉の歴史や
研究成果として活用いただくことが注意点となります。
本書から得られること
本書は本格的な研究書と言っても良い内容ですので、一度通読した程度では理解が難しいと
考えられます。
また、データブックとしての一面もありますから、本書を理解して何かに応用すると言う方法の
他に、参照しやすい場所に保管しておき、必要に応じて参照すると言った活用方法が適している
のではないかと思います。
とは言え、本書の内容を一度でも通読しておくと、かなりの草津温泉通になれるでしょう。
そして無理を押して熱すぎる湯に浸かろうとすることも控えるようになるでしょう。
草津温泉の有効性と危険性、両面を明らかにした良書と言えます。
書評まとめ
本書を通読する過程で、一つ一つ、言葉の理解から進めていく必要がありましたが、そうした
過程を経て読み終えてみると、草津温泉に対する見方がガラリと変わっています。
単なる温泉への興味、草津温泉が好きでよく知りたいと言う動機で購入し読み進めてきました
が、本書の内容があまりにも専門的で深く追求している内容であり、思わぬ理解へと繋がる
嬉しい誤算がありました。
特に、草津温泉に入ることに比較的リスクが高い人や、超高温・強酸性泉と言った過酷な条件で
あるからと言って、顕著な特効が証明されているわけでもないと言う事実を知ることができた
のは、大きな収穫でした。
だからと言って草津温泉の存在意義が低下するわけではなく、古くからの湯治場として賑って
きたその歴史に裏打ちされた、総合的な癒しの効果は折り紙付きです。
そしてまだまだ未解明の温泉の健康効果の解明や、それに伴う統合医療の発展に寄与する、
大きな可能性を秘めている温泉であると言うこともできるのです。
草津温泉を取り巻く現状は複雑なものがありますが、古き良き伝統を残しつつ、危険因子が
解明され尽くした安全・安心かつ効果的な温泉となれることを願っています。


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