日本温泉科学会による温泉科学の普及本
本書は温泉科学を探求する「日本温泉科学会」による、各分野の研究内容を紹介する
論文集のような本。
テーマごとに、各分野の研究者が自らの研究内容を紹介する形で進んでいきます。
さすが研究者となるだけあって、かなりマニアックな内容にまで踏み込んでいます。
一読しただけでは理解が難しい部分もありますが、それぞれの著者が本当に面白くで研究に
没頭しているであろう姿が目に浮かびます。
まえがきで編者の西村進氏が言及しているように、各著者の熱意があふれており、書き方にも
それぞれの個性がある内容となっています。
編者が「あえてそのままの方が面白い」と思い、手を加えていないというほどの内容です。
一冊の本としては、あまり内容に統一性がなく、温泉に関する読み物とかコラム集といった
体裁となっています。
そんなところが、これまで広く一般に普及させることに力を入れてこなかったという、
日本温泉学会の素人感が出ており、親しみやすさが感じられる部分です。
本書の著者について
本書は前述のようにテーマごとに担当の著者が異なり、総勢10名の著者が執筆しています。
温泉ファンにとっては知っている名前もあるかもしれません。
各著書の紹介は、本書巻末の「執筆者紹介」より引用しています。
大沢信二(おおさわ・しんじ)
1960年生まれ。1992年東京大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程修了(理学博士)。京都大学大学院理学研究科付属地球熱学研究施設准教授。地熱水・火山ガスの地球化学的研究、火山噴火や地層処分にかかる地下水流動系の研究、火山・温泉の環境科学的研究。
〔主な著書〕「島原半島の温鉱泉の地球化学的研究」『温泉科学』52号(2000年)、「コンピュータ・シミュレーションによる北投石生成機構」『温泉科学』38号(1988年)、他。
佐々木信行(ささき・のぶゆき)
1952年生まれ。1981年東京大学理学系研究科博士課程修了(理学博士)。香川大学教育学部化学教室教授。鉱物や温泉沈殿物など天然無機化合物の生成機構の研究、温泉の泉質変化とその原因に関する研究、アルミニウムボレートなどを利用した代替資源としての複合材料の研究、廃棄物処理・リサイクルなどを扱った環境科学教育の研究。
〔主な著書〕『温泉学入門』コロナ社(2005年)、『毒物・中毒用語辞典』化学同人(2005年)、『資源論入門-地球環境の未来を考える-』コロナ社(2001年)、『教育現場からの化学Q&A』〔分担執筆〕丸善(2002年)、『天然無機化合物-鉱物の世界-』〔共著〕裳華房(1995年)、他。
木川田喜一(きかわだ・よしかず)
1965年生まれ。1990年上智大学大学院理工学研究科博士前期課程修了。博士(理学)。上智大学理工学部物質生命理工学科講師、上智大学地球環境研究所併任所員。火山地域における岩石の変質現象ならびに物質循環に関する研究、温泉水の化学組成を用いた火山活動モニタリング、中性子放射化学分析法を利用した環境試料中の微量成分分析手法の開発。
〔主な著書〕「群馬県万座地域主要源泉の溶存成分濃度経年変化」『地球化学』36巻(2002年)、「香草源泉において観察された成分変動と草津白根山の火山活動との関係」『温泉科学』50号(2000年)、他。
大山正雄(おおやま・まさお)
1943年生まれ。1970年工学院大学大学院機械工学研究科修士課程修了。文学博士。昭和女子大学・専修大学・早稲田大学オープンカレッジ講師。日本温泉科学会会長。日本温泉協会専務理事・学術部委員。温泉水文学。温泉の成因と湧出メカニズムの調査・研究。環境大臣第23回温泉関係功労者表彰受賞(2004年)。
〔主な著書〕『温泉 自然と文化』〔共著〕日本温泉協会(2006年)、『大学テキスト自然地理学(上・下)』〔共著〕古今書院(2004年)、『水のハンドブック』〔共著〕丸善(2003年)、『箱根湯本・塔之沢の歴史と文化』〔共著〕夢工房(2000年)、『建築実務に役立つ地下水の話』〔共著〕建築技術(1994年)、C.エムブレトン『ヨーロッパの地形』〔共訳〕大明堂(1995年)、「数値シミュレーションによる湧泉の流出量解析」〔共著〕『地下水学誌』36巻1号(1994年)、他。
西村進(にしむら・すすむ)
1932年生まれ、京都大学大学院理学研究科博士課程修了。京都大学名誉教授。特定非営利活動法人シンクタンク京都自然史研究所理事長。自然放射の研究、火山地震活動、温泉・地下水調査、放射性廃棄物の地層処分の研究、二酸化炭素削減やゼロエミッションの調査研究。
〔主な著書〕『技術者のための地球環境から環境ビジネスまで-その現状課題と解決策』〔編著〕社団法人日本技術士会(2003年)、「紀伊半島の温泉とその熱源」『温泉科学』第51号(2001年)、「四国北部の地質構造と温泉」『温泉科学』50号(2000年)、他。
小泉尚嗣(こいずみ・なおじ)
1957年生まれ。1988年京都大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学。独立行政法人産業技術総合研究所地質情報研究部門地震地下水研究グループ長。地下水の観測による地震予知・火山噴火予知研究。
〔主な著書〕「地球化学的地震予知研究について」『自然災害科学』16巻(1997年)、”Preseismic changes in groundwater level and volumetric strain associated with earthquake swarms off the east coast of the Izu Peninsula, Japan” Geophys. Res. Lett., No.26(1999)、「黄檗断層の地下構造調査」『地震2』55巻(2002年)、他。
杉森賢司(すぎもり・けんじ)
1955年生まれ。1979年北里大学衛生学部衛生技術学科卒業。東邦大学講師。火口湖や温泉等の過酷な環境に生息する微生物の調査・研究、河口域の底泥に生息する嫌気性細菌の環境に及ぼす影響に関する調査・研究。
〔主な著書〕『’93医学と食品事典』〔分担・翻訳・要約〕朝日出版社(1992年)、「ロシア・カムチャツカ半島のパラトゥンカ温泉」『温泉科学』52号(2002年)、「カムチャツカ・カリムスキー火山噴火に伴う熱水の微生物学的研究」『温泉科学』50号(2000年)、「温泉の生物学-特殊環境に生息する藻類と細菌類-」『温泉科学』44号(1994年)、他。
加藤尚之(かとう・なおゆき)
1952年生まれ。1975年東邦大学理学部化学科卒業。博士(医学)。東邦大学医学部科学研究室准教授。温泉のレジオネラ属菌に関する研究、温泉の微量元素に関する研究。
〔主な著書〕”One-milliliter wet-digestion for inductively coupled plasma mass spectrometry(ICP-MS):determination of platinum-DNA adducts in cells treated with platinum(Ⅱ)complexes”, Anal. Bioanal. Chem., 382,(2005年)、「温泉のレジオネラ問題について」『温泉科学』55号(2005年)、”Factors influencing of Legionella pneumophila serotype 1 in hot spring water and tap water”, Appl. Environ, Microbiol., No.69(2003年)、「テストステロン-5a-リダクターゼ活性に及ぼす還流電解温泉水の影響」『温泉科学』50号(2000年)、他。
白倉卓夫(しらくら・たくお)
1932年生まれ。1961年群馬大学大学院医学研究科博士課程修了。群馬大学名誉教授。NPO法人健康と温泉フォーラム会長。温泉の医学的研究。
〔主な著書〕『からだと心に効く入浴健康術』〔共著〕同文書院(1994年)、『草津温泉』〔編著〕上毛新聞社(1997年)、『医者がすすめる驚異の温泉』〔監修〕小学館(2001年)、『新温泉医学』〔共著〕日本温泉気候物理医学会(2004年)、『ストレス時代を生き抜く』〔共著〕(財)日本食肉消費綜合センター(2007年)、『高齢者のための温泉療法』〔編著〕ライフ・サイエンス(2007年)、他。
大河内正一(おおこうち・しょういち)
1949年生まれ。1976年法政大学大学院工学研究科修士課程修了(工学博士)。法政大学生命科学部教授。水科学専攻。”水”の分子・原子レベルの基礎研究から、食品、飲料水、アルコールに塾生に係わる水、さらに血液や尿などの体内の水や温泉水について、応用も含めて幅広く”水”に関する研究を行なっている。
〔主な著書〕『生きている温泉とは何か』くまざさ出版社(2003年)、『機能水の科学と利用技術』〔共聴〕ウォーターサイエンス研究会(1999年)、『生物・環境産業のための非熱プロセス事典』〔共著〕サイエンスフォーラム(1997年)、他。
「温泉研究科」の発表会のような本
この本は上記のような温泉研究に関する専門家の先生方が執筆されているため、
各専門分野ごとに独立した内容の章立てとなっています。
温泉にまつわる研究分野を広く俯瞰するにはちょどいいと思いますが、各章をじっくりと
読み込むと、それぞれがマニアックでどんどん引き込まれていく…。
もはや温泉のことを研究していたのかどうかさえわからなくなるほどに細かい専門性。
こういう知識を網羅して全国の温泉を回ったら、さぞかし楽しいだろうな…と思えるような
玄人向け知識の宝庫。
本書記載内容の概観
本書は三部構成で、「Ⅰ 温泉と科学」「Ⅱ 温泉と地学」「Ⅲ 温泉と生物学・医学」と分かれ、
それぞれ研究テーマが列挙されています。
Ⅰ 温泉と科学
1 青い温泉水はどのようにしてできるのか
九州は別府温泉にある、青い温泉水の色の理由を解明しようとしています。研究者にとってはコロイドやレイリー散乱、ミー散乱と言った言葉は普通なのでしょうが、こういう概念や現象に免疫がない人は、中学・高校時代の物理や化学を思い出して苦手感を持つかもしれません。
でも、専門的な言葉が出てくるだけなので、深く考えずに読み進めましょう。怖くないです。
2 温泉の作る石
特別天然記念物の「北投石」形成に関する研究。
台湾の北投温泉か秋田県の玉川温泉でしかできない珍しい石の研究についての紹介です。
源泉からの距離や成分濃度の割合など細かい話がでてきます。
数学的な操作として行列なども出てきますが、無理に数式を理解しようとしなくても、本文で
何をしようとしているか説明されています。安心して読み進められます。
3 温泉は地面ののぞき窓
温泉の成分分析書に表示される泉質に関わる溶存物質から、地下の様子を探る研究についての
説明がされていきます。
この項目では、筆者が草津白根火山を研究対象としているため、具体的な事例が草津周辺での
研究内容となります。
草津のすぐ隣にある万座温泉との比較もあり、これら2つの温泉は私のお気に入りの場所なので、
特に興味深く読めました。
Ⅱ 温泉と地学
4 大深度温泉井の開発について
近年増加しつつある、大深度(とっても深い)井戸を掘って温泉開発を進めることについて、
実際の掘削に当たる際の技術的な内容と、その後の環境に関するモニタリング等の重要性に
ついて説明されています。
こうした人工的に掘削して汲み上げている温泉が増えているので、従来の自然湧出温泉との
比較として読むと面白いです。
本来、自然に湧き出してくる温泉を得るために、膨大な手間と時間をかけて温泉を汲み上げて
いるという事実に驚くことでしょう。
5 岩盤中の大深部掘削井の揚水テスト
本稿は、全項目における掘削井とも関連しており、特に特殊な場所に源泉があり、それを揚水
(汲みあげる)ための考察がなされています。
本項で触れられている、岩盤中における薄い水の層から揚水するためには、他の厚い堆積層の
ように定式化できないといいます。
岩盤中の圧力が掛っている水の層は、それぞれ個性があり一般化できないためにこのような
考察が必要との事。
専門的すぎでもはやイメージが追いつかない…。
6 温泉と地震
地中から湧き出す温泉の状態と地盤が振動する地震の発生には、何らかの関連性が考えられ
ますが、その調査方法について紹介する項となります。
実際にデータ採取した内容と、そこから考察される地震予知のモデルが紹介されています。
このテーマは生活にも関わってくるので、特に興味深く読み込んでいける部分です。
7 火山活動と温泉とのかかわり合い
温泉と火山活動の関連についての研究です。前項の地震も、火山活動や温泉との関わり合いが
指摘されますが、本項では地熱の利用についてや、温泉関係の文献でよく出てくる「第四紀」
火成岩などの記述が出てきます。
本書の中でも、温泉の形成やその起源に迫るテーマになりますから、温泉そのものに関心を
持っている場合には興味深いテーマと言えそうです。
Ⅲ 温泉と生物学・医学
8 温泉に棲む生物
温泉という過酷な状況下において、あえてそこでないと生息できない生物についての研究。
草津温泉などの、高温で酸性度の強い湯であっても、藻のようなものが温泉水の中に生えて
いるのを目にします。
本項では、そういった温泉の過酷な環境下における微生物の研究紹介がされています。
9 温泉のレジオネラ
循環風呂などで問題が表面化したレジオネラ属菌についての研究紹介です。
土壌中にありふれた存在であるレジオネラ属菌ですが、菌そのものの生態などの紹介や、
どういった箇所に危険性があるのかを解説しています。
感染すると主に肺炎を起こして命にも関わることがあるため、温泉に関わる人にとっては
かなり大きな関心ごとになります。
10 温泉の医学情報あれこれ
温泉の利用による健康増進や、逆に身体に負担をかけてしまう事実についての説明です。
群馬大学付属病院草津分院で院長をされていた白倉卓夫氏の記述になり、草津温泉での
アトピー性皮膚炎の軽快についての紹介や、入浴は万能ではなく諸刃の剣であることなど
温泉利用のメリット・デメリットを紹介しています。
11 21世紀に期待される温泉
炭酸泉に代表されるように、医学的な効果がはっきりしている温泉についての説明と、それら
の温泉を人工的に再現する技術や家庭での再現についての言及がされています。
効果のある温泉として、老化する前の温泉についての説明と、それを評価する指標として、
酸化還元電位(ORP)についての説明がなされています。
源泉から湧出した後、空気に触れることで温泉水も老化していくことが知られるようになり、
循環式温泉についてはORPの測定結果から、効果が低下していくことが指摘されています。
温泉に期待される効果にもよりますが、温泉のもつ還元力も泉質の評価として組み込まれて
いくようになるのかもしれません。
本書から得られること
この本は温泉研究がどのような分野にまたがっているのかを、非常に興味深い切り口から
学びとることができます。
まさに研究、マニアックなテーマについて、これでもか!というほどに掘り下げています。
直接的に得られることといえば、本書は研究分野への入り口を提供してくれていると言え、
各分野の研究紹介を読んで興味を持ったら、さらに深めるキッカケを得ることができます。
こうしてマニアックな温泉ファンが出来上がっていくんでしょうね。
本書をオススメする人
そんなかなり細かくて深い専門分野を紹介している本ですから、想定される読者層は
限られてくるのかもしれません。
ただし広く温泉研究を広めたい、知ってほしいという思いも本書発行の根底にはあるはず
ですから、温泉についての知識を深めたいと思い始めた人が手にとっても、それなりに興味を
持って読み進められるんじゃないかと思います。
一部、数式や行列などの数学的操作が出てきますが、そういうところは飛ばして読んでも、
大まかな研究テーマの理解には差し支えないはずです。
工学系出身者としては、数式やグラフが出てくると本能的に構えてしまいますが、それほどの
気合いを入れずとも、気軽に楽しんで読むことをオススメします。
書評まとめ
全体的に興味深いテーマが揃っている本でした。
しかし著者が異なり編者もあえて手を加えていないと言及しているように、
統一感には欠ける印象を受けました。
そうった「雑多な詰め合わせ感」があるからこそ、各分野の専門的研究内容の雰囲気も
十分に伝わってくるとも言えそうです。
本書のような内容は、おそらく日本温泉科学会などで発行されている機関紙上には記載が
されているのでしょうが、一般の人向けに、こういう書籍という形で出版されているのは
価値があることだと思えます。
本書を読んだからといって温泉がより気持ちよく味わえるかというと、そうは言えません。
しかし温泉地に旅行した時に、ちょっとした現象(温泉の中に生息すす微生物など)に
思いが至った時、そこに湧き出る温泉の背後にある雄大な自然を、感じ取ることができる
ようになるかもしれません。


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