これは、温泉ではない 温泉教授の温泉ゼミナールⅡ 松田忠徳 著

温泉本

”温泉教授”による『ホンモノの温泉』啓蒙書 第二弾

著者である松田忠徳氏による『温泉教授の温泉ゼミナール』の続編に当たるのが本書。
前著に比べて本書は、松田氏の主観がかなり強く感じられる内容になっています。

主張のキモは一貫して「ホンモノの温泉」を維持するため、
循環掛け流し・塩素消毒はケシカラン!!というもの。

ただし著者ご自身は、
「一度も循環風呂や塩素消毒が悪いといった覚えはない」
というので、読んでいる側も「?」が出たり出なかったりすることがあります。

世の中の多くの「源泉かけ流し原理主義者」が、この松田氏の主張を元に源泉かけ流しを
至上の温泉であると主張することから、ご本人が今更どう言おうと、
「源泉かけ流し原理主義の大親分」と認識されてしまっています。

おそらく、大親分として認識される過程では重要な役割を果たしたであろう本書。

著者が主張する温泉が「ホンモノの温泉」であるかどうかについては、色々な意見がある
と思います(温泉法上の温泉も一部は該当しないようです)。

しかし、多くの温泉に入って「これこそがいい温泉だ!」と思うものには、著者が主張する
ホンモノの温泉に該当するものが多いと感じるのもまた事実です。

 

前著に比べて著者の独り善がりな印象が強い

前著「温泉教授の温泉ゼミナール」は、現在の「温泉」「天然温泉」についての認識を
改めさせてくれる、革新的な視点を提供してくれる名著だと感じました。

それに出版された時期が2001年12月と、すでに20年近くも昔です。

これほどまでに早く、巷に次々と掘削開発される「天然温泉」に対する問題提起を、しかも
一般の人向けにできるというのはかなりのものです。
そういう印象を受けました。

しかし本書は、前著の反響がよかったせいもあってか、やや鬱陶しい印象が否定できません。

温泉を愛する一人の人間としての主義主張を、こういった本という形にして出版するのもいい
かもしれませんが、この著者が思っていることがそのまま書かれているような、ちょっと作り
が雑ではないか?という印象をもつ本でした。

この本の良いところ

本書を読んでよかったと思う箇所は,
「第三章 生きている温泉」で紹介されているような、かつての湯治での過ごし方に習った
”スローな温泉ライフを楽しむ” というもの。

かつての湯治は、体をキレイにする場所というよりは、病気を直したり、消耗した体を回復
させる場所という意味合いが強くありました。

そのため現在でも、古くから続いている湯治場ではシャワーがなかったり洗い場がないという
こともあります。

さらには混浴が残っているということも、体を洗うのではなく、いわゆる ”癒し” を求めて
来訪することが目的であることの表れであるといいます。

現在の温泉地でも、共同浴場のような、地元の人向けの浴場では、洗い場がないことが多く、
あったとしてもお粗末な設備のみ、というものが目立ちます。

これは温泉そのものを味わい、心身を回復させるための場所である、という考え方の表れとも
受け取ることができます。

そうした場所では、最低限のマナーとして掛け湯などで体の汚れは落としますが、石鹸や
シャンプーを使ってまで体を洗うことはしていません。

そうした所作がなくなっているからこそ、温泉そのものをじっくりと味わい、湯治としての
効果を体にしっかりと染み込ませることができるのだなあと思うのです。

私自身の経験として箱根の「姥子温泉 秀明館」では洗い場がなく、その温泉のルール
として「石鹸やシャンプーの使用禁止」というものがありました。

もちろん、お湯に入る前には汚れを洗い流しますが、石鹸等は使いません。
あとはひたすらお湯に浸かり、温まったら上がって、休憩し、再びお湯に浸かる。

お湯に浸かって、心身を癒すことに集中できる環境を維持するためにも、こうした洗い場の
ない浴場、石鹸やシャンプーの使用を禁止するという浴場があってもいいと思います。

そういう点で本書での提言は、これからも伝統的湯治場を、しっかりと湯治目的で利用できる
状態で残すために必要なことであるということができます。

 

でも本書の主張はやや強引かもしれない

とはいっても、本書では伝統こそ不変であるべきだ!というような、どちらかというと
原理主義的な強引さの雰囲気も感じます。

ある宿の主人の話として、露天風呂を作ったり、湯治場だったところにシャワーを設置したり
した例があります。

これは都市部からの観光客のニーズに答えた結果であるそうですが、これによって温泉の湯量
不足が起こったり、先ほどの湯治場としての癒し効果が減少してしまう問題があります。

温泉そのものの存続が危ぶまれるほどの改変は、もちろんやるべきではないですが、
多くの人がホンモノの温泉を楽しめることが、ホンモノの温泉を残していくことにも繋がる
のではないかと思います。

著者が主張するような形での湯治場を残す方法が、もちろんもっとも理想的ではあります。
しかしホンモノの温泉をわざわざ選んで来てくれているのに、不便で汚くて使いにくい温泉
出会ったとしたら、それこそ客足が止まって閉業ということにもなりかねません。

理想的な温泉を残すことと経営的に継続することは、両立が非常に難しい問題です。

しかしながら、著者のように影響力のある人にこそ、その両立が可能になるような主張を
続けて欲しいと願いたいと思うのです。
本書は、そういう意味ではやや極端な、理想論を主張するような本なのかな、と思います。

ある意味、バランスを取るためには本書のような存在も必要なのかもしれませんが。

 

まとめ

本書はなんども言うように、著者の主観的な物言いがやや強めな本になっています。
この著者のファンであれば、気持ちよく読み進めることができるのではないかと思います。
私も前著を読んだ時には「この人は温泉の良さがわかっている!」と感動しました。

しかし本書はその主張がやや極端な方向へ振れている印象を受けてしまいます。

ホンモノの温泉を残すため、理想的な形で残すための啓蒙書と言う位置付けならば、こうした
極端な物言いも有効なのかもしれません。

この著者の本は他にもたくさんあり、本書のような主張はその中の1つの理想論としての存在
意義があるのかもしれません。

本書に対する私の感想としては、理想論としては大賛成、ただし現実に素敵な温泉を残す事を
考えた時に、これでは却ってホンモノの温泉が存続しにくくなりはしないか、とやや危機感を
感じるような内容でした。

著者の本はこの本の後にもたくさん出てきているようなので、続編を読み進めつつ、この著者
の考え方を深く知ってくことも大切なのかな、と思っています。

本書がオススメかどうかと言うと、どちらでもないですね。
強いて言えば、ホンモノの温泉を、伝統的湯治場で味わいたいなら、一読の価値あり、とも
言うことができそうです。
いずれにしろ、温泉玄人向けの本でしょうね。

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